河村花不言

河村花不言(かわむら かふげん)

本名・河村米吉
1891年(明治24年)1月15日 – 1947年(昭和22年)5月27日

「藻潮吟社」を作り句作をしていた。
その後、1912年に荻原井泉水の層雲に加わるが、井泉水に会ったのは1918年の北陸層雲大会だった。
1926年、井泉水に同行して石動から倶利伽羅峠へと奥の細道の跡をたずねる旅に同行した。

代表句

・大声あげてあら海を漕ぐ小舟なり
・よごれしわが姿こそ人に親しまれ
・貧しかりしヂヂババのこれが水甕

略歴

石川県鳳至郡能都町宇出津にて出生。
生業は米屋。
米屋の人の良いおじさんという人柄で、地元でも俳人、詩人として知っている人は少なかったという。
脳溢血を患い、身体が不自由になったという。
1947年に亡くなった。
その後、1970年に井泉水夫妻が墓参りに訪れた。